【小中学生向け】意味づけることの意義

 意味を,与えられる意味と,見出す意味に分けてみます。与えられる意味とは,誰かによって価値を見出されている意味です。見出す意味とは,自分によって価値を見出している意味です。さて,日々の生活の中で,どちらの意味に出会うことが多いでしょうか。以下では,物事に何らかの意味を与える「意味づけ」について,グリム童話のような例をたよりに,考えていきましょう。

 とある旅人が,世界中を旅してまわっています。ある国で,四人の(駐)樵と出会いました。一人目の樵に「なぜ木を切っているか」と尋ねると,次のように答えが返ってきました。「この木を切るように,えらい人から指示されているのさ。『なぜ?』って…そんなの,やらなきゃいけないからに決まってるからだろ!」。回答を聞いた旅人は,労いの言葉をかけて次なる場所へと旅立ちます。少し進むと,熱心に作業している別の樵に出会いました。二人目の樵にも,木を切っている理由を尋ねてみました。「この仕事して稼いだお金で,家族を支えているのさ。だから,頑張らないと」。回答を聞いた旅人は,励ましの言葉をかけて次なる場所へと進みます。少しして,また別の樵に出会いました。同様の質問を投げかけてみます。すると,「他の樵の,倍は木を切りたいんだ。負けたくないんだよ」と話してくれました。とある旅人は,応援の言葉をかけて次へと向かいます。さらに進むと,今度はまた別の樵に出会います。話を聞いてみると,こう答えてくれました。「この場所にある木を切って,ここにみんなが住めるような大きな町を作りたいんです。山間部の合間を縫うようにして何とか暮らしている,この国の人々の生活をもっと良くしたいんです!」。

 四人とも,やっていることは全く同じ「木を切る」という行為です。しかし,捉え方やその物事に向かう姿勢は大きく異なることが想像できるでしょう。一人目は,偉い人からの指示によって木の伐採に取り組んでいました。もし,指示が無ければどのような生活をするのでしょうか。二人目は,家族のために木を切っていました。三人目は,競争心によって行動します。四人目は,どのような動機によって物事に取り組んでいるでしょうか。

 三つの問いによって,さらに思考を進めていきましょう。樵の仕事に対して,喜びを感じているのは誰ででしょうか。喜びを感じている樵たちの中で,喜びの質はどのように異なるでしょうか。また,この四人にとって,他者の存在はどのように関わるのでしょうか。

 僕自身は,同じ物事への取り組み方に関して,次の二つの観点から考えています。一つ目は「主導する人が誰か」です。突き詰めれば,物事へ取り組む態度は他者が主導しているのか,自己が主導しているのかの二択に分かれます。もちろん,他者と自己の主導権は時として,非常に曖昧であり,単純にどちらかと言い切ることは極めて難しいです。それでも,いまやっていることを最後の最後に主導している人は誰なのか,よくよく考えてみてほしいです。僕は,最終的に自己が主導している時の方が,物事には主体的に取り組むことが出来ると感じています。二つ目は「目標との距離」です。この観点は,短期的な目標か,長期的な目標の二つを提示できるでしょう。短期的な目標は,生きる活力を与えてくれます。一方,その都度設定しなければならず,その目標の定め方の基準を点検する必要性が生じるでしょう。長期的な目標は,自分が歩む指針を示してくれます。他方で,その設定には論考するための多くの時間を必要とし,自己とは何か,から考え始めなくてはならないという意味では手間がかかるものです。僕は,長期的な目標のない短期的な目標は,人生のどこかのタイミングで消費期限が来るのではないかと考えています。

 以上みてきたように,物事へ取り組むに当たって,多様な意味づけが存在することが分かりました。どの意味づけにも優劣はありません。しかし,個人的には自分自身で長期的な目標を立て,そのうえで物事に取り組むことをオススメしています。物事に取り組むときの充実度が変わってくるからです。手間暇をかけて考えるということは,非常に大変は行為ではありますが,中学生の今だからこそ,考え抜いてみませんか。受験という与えられた意味であっても,自分自身で意味を見出し,意味づけることが出来ると思うのです。

◆駐

・樵(きこり)…森林の樹木を斧などにより伐採すること、もしくはそれによって生計を立てている者。

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この記事を書いた人

支考社 代表

門野坂翔太(かどのさか しょうた)

東京学芸大学・教育学研究科修了。教職修士(専門職)。
中学校・高等学校専修免許状(社会・地理歴史・公民)。

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